歴史的古民家「桜山荘」

 

幕末から明治時代にかけて酒造業、産馬家として繁栄した岩手町の柴田家が、冠婚葬祭用に使用していた別荘。

ここは元来、幕末の南部盛岡藩の家臣であった佐々木直作が幕末の戊辰戦争(1868~1869)で盛岡藩の敗戦の責を取り隠棲し、名を板垣草蔭と改めて私塾「草蔭塾(のちに桑蔭塾)」を開いた地である。この塾の門下生は旧盛岡藩の士族、郷士の氏族からなり、のちの岩手の各界で活躍する多くの先達を輩出している。

大正時代に入り、板垣家が東京に引っ越すのにあたり、「桑蔭塾」の出身の地元岩手町の商家柴田家三代目の兵右衛門が敷地・屋敷を買い受けて大正5年(1916)に新築した邸宅が今の「桜山荘」である。 往時には裏山に一面のヤマザクラが咲き、桜の名所であったことから「桜山荘」と称するようになった。

 

総面積は約2,000坪(約6,600㎡)。今は往時の桜は見ることができないが、春の新緑の輝きは美しい。庭園は明治以前から手を加えられていた樹木が多く、池の端のカツラの大木はこの地の歴史を見守ってきた象徴の存在だ。紅葉の時期は特に赤く染まるモミジで美しく彩られ、落葉の真っ赤な絨毯も圧巻である。


屋敷に入ってまず目を引くのは、玄関の杉板一枚正目の四枚戸と屋内の襖絵。これらは津軽弘前藩の絵師七尾英鳳の作によるもの。 また「桜山荘」の扁額の記号は板垣征四郎が帰省した折に揮毫したものである。

座敷部分の保存状態は良好でほぼ建築当初の姿を残している。また、館内にある唯一の洋間の高天井と照明器具・スライド式窓などは建築当初のものであり、大正時代の雰囲気を今に伝える貴重な空間となっている。